生まれてくる理由とは(アーユルヴェーダでの死vo3)
今回が最終章
前回の続きになります♪
2つ目のアルタで安全安心を手にいれると次に私達は、五感を喜ばせてくれるもの、毎日を幸せにしてくれるもの。美味しい食事や、旅行、エンターテイメントなどが欲しくなり行動します。

これが3つ目のカーマ
これも適度に満足するよに。。
例えば友達とbarへ行きました。楽しくなって泥酔するまで飲み続け朝まで盛り上がってしまうこの後は、鬼の二日酔いになり 寝不足で いいことはない。
♪わかっちゃーいるけど ついついねぇー♪
これも人生で行った方がいい事だと私は思います。
このような過程を繰り返し、歳を重ねて*足りるを知る*に繋がっていきます。
カーマを知る為に人生していると言うことですかね。
人は、アルタやカーマを次から次へと求めてしまいます。
果てしない欲望に取り憑かれています。
それが人の本能です。

しかし 人生の経験値が上がってくると その欲に対し適度を知ります。
そして 行き着くところが
4番目モークシャです。
最後の人生の目標は、「モークシャ/自由、解放、悟り」と言います。

アルタ・カーマでは“幸せ”を外に追い求めていました。
人は、アルタ、カーマで依存してしまいがちな欲望の為に次々と終わらない追求し続けます。
そして いつか、気づきます。
そこからダルマを経て価値観が整ってくると、手に入る“幸せ”は何一つないと気づきます。
自分に必要な少しのアルタ(安全、安心)カーマ(娯楽、快楽)に感謝します。そして日常を満足し落ち着き、常に自分は、幸せである。と理解した時これが4番目のモークシャへの入り口です。
追い求めることからの自由(解放)です。
個人の私として外に何かを追い求める必要もなく、すでに満たされていて、“幸せ”であると理解することです。
モークシャを得ると、何も足りていないことなんてないことに気づきます。
すべては満たされていて、完全なのです。この追い求めることからの自由こそが本当の“幸せ”であるとヴェーダは説きます。アーユルヴェーダでは、ヨガ、のゴールといいます。
奥が深いですね。
確かに今の自分で例えると、広い畑が欲しいっ 簡単に手入らない、、私の願いは叶わないっと思うか、、
今の小さな畑に感謝して野菜を育て頂く うふっ どっちが幸せかと言うと後文でしょう

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