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依存と執着 アーユルヴェーダの知恵

  • 執筆者の写真: niwaneco
    niwaneco
  • 2022年2月19日
  • 読了時間: 3分

奈良の明神平へ行ってきました。

奈良と三重の県境にある紀伊半島ど真ん中山深い山域。


この日の登山目的は、樹氷をみながら雪見鶏鍋と締めラーメンを食べる!でした。

風が強い山域なので樹氷が綺麗なところなのですが、予想外の風に冷たさに

お鍋を用意して食べたけど、寒すぎて手の感覚もなく足もジンジン痛くなり 歩かないと凍えていくのでまったり 雪見鍋など出来ずに写真も撮らずに急ピッチで食を口に流し込んで さっさと 下山したーーーっ

て日でした。(爆

凍えそうになると、温泉を求めてすぐに下山するんですね。私は、、




最近 いろいろな依存症が社会問題として取り上げられていますが


依存の意味は、なにかに寄りかかる 頼みにする等、保護、援助を求め、それがなくては生きていけない状態である、行為や思考の事をいいます。

執着とは少し違ってきます。



依存は、癖になっていてそれがないと生きていけないほど辛くなる思いと行いです。

少し似ているのが、習慣です。この習慣は自分の意志でやめられると言う事です。


例えば タバコ お酒を毎日摂っていたとして、仕事である一定期間にそれが出来なくてイライラしたり、寝れくなる思い込みなどで自分の精神が乱れてしまい落ち着かない状態になっていたら、そのことが既に依存状態になっている事。


例えば、タバコ お酒 薬物 お菓子 など 取り入れるとで刺激になってやめられなくなるのが、物質依存といいます。



そして ギャンブル 携帯 ネット ゲームなど行為の過程で得られるワクワク感の興奮をすることに執着することは、プロセス依存といい。


愛情を注いできたペットや家族がいなくなった時に、その事を思い返し長期に渡り悲しみ続けるのは、対象依存といいます。

悲しみ寂しく思う事で、その対象に愛情を注ぎ続けていると言う思い込みと依存です。

亡くなった魂は、余計に心配で天国へ行けなくなってしまいます。


また 失恋した相手に依存や執着心で行動してしまうと逆に相手にキモがられてしまったりします。


なので、寂しさや悲しみは、その時にしっかり受け入れて前に進んでいきましょう。



執着と依存が違うところは、執着は人や物を所有して手放すのに困難な心の感情です。

 服が捨てれないとか、物が捨てれず部屋が物だらけのは、すこし執着心が強いのかもしれません。



そしてどちらにせよ、依存が執着心になり、執着心が依存になる、どちらもエスカレートするとアーユルヴェーダでは、無明(むみょう、梵: avidya)といいます。仏教用語で、無知のこと。

しかし 人間の私たちは生きていると時に迷い 戸惑い その無知に陥るときまありまよね。

私は、その浮き沈みを含めて人生の業なのかなーと思います。

人生の中で依存や執着が強くなる事は、よくある事です。そして、その時は、夢中でその状態を維持するのに必死で周りが見えてない時もあります。*ラジャスが多くてドーシャのバランスを崩したりします。

しかし、一旦 *サットバの心に戻ると、なーんだ、なくても大した事ないじゃん〜 なんで、そんな事にエネルギーを使ったんだろう。。など、その後に気づきが訪れます。 そして、人生のバージョンアップにつながると思います。


大切なのは、回復する知恵を持つこと。。いろいろありますが、手放す業とか解放ですかね?? これがいいのかなーと思います。



さてさて、次回は、ドーシャ別の執着と依存の特徴をお話します。


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いろいろ UPしようと思っていますので 是非 フォローしてみてください。


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